院長の自己紹介

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ぴくしぃ?

こんにちは。ぴくしぃ整形外科の院長、佐多和仁と申します。
ぴくしぃ整形外科?なんじゃ、そりゃって思った方が多いことだろうと思います。
ぴくしぃとは勿論、当時の名古屋グランパスのストイコビッチ監督のニックネームPixyから戴きました。
高校時代からサッカー小僧だった私は、現役時代のPixyの大ファンでした。
というより名古屋グランパスに入るずっとずっと前からPixyの大ファンでした。
思い起こせば、1990年のワールドカップイタリア大会、彗星のごとく現れた当時ユーゴスラビア代表の背番号10番のPixyは決勝トーナメント1回戦でスペインを相手に鮮やかなFKを決め、更に決勝点を決めてスペインを破ったのでした。あのスペインを一人できりきり舞いさせたのです。スピード・テクニック、それはそれは素晴らしいものでした。
それ以来Pixyは私の憧れの人になりました。
その後、日本に、しかも地元名古屋に来る、と聞いた時の驚きと興奮は忘れられません。
自分の背番号も10番にこだわり、スーパー銭湯や居酒屋のげた箱すら10番にするくらいです。
医師となり長く勤務医をしておりましたが、開業する場合には「ぴくしぃ」をクリニックの名前に使おうと考えていました。
このたび縁あって西可児地区で開業することになり、「ぴくしぃ整形外科」を名乗ることにしました。
もともとPixy(Pixie)はテレビ漫画に出てくる「妖精」の名前ですので病院の名前としても「ま、いっか」という開き直りに近い感覚でいます。

Pixyは、選手としてだけでなく監督としてまた名古屋に戻ってきてくれ、Jのお荷物とまで揶揄されていた名古屋グランパスにJ初優勝という夢を現実のものにしてくれました。
監督としての6年間は長かったようであっという間でした。
最近は、お年寄りの患者さんから 「先生悲しいやら、Pixyが帰ってしまって」と慰めて頂くこともあり、「サッカーなんてあんまり見なかったけど、ぴくしぃから見るようになったわ」  なんて嬉しいこともおっしゃっていただいたり。Pixyには感謝感謝です。
   

こんな私ですが…
あんさん、何してまんねん
現役引退前の名古屋での最後の練習後の写真です。練習後サインをねだる我々に「今日はもう時間がないから」って説明に近くまで来てくれました。若い!細い!
豊田スタジアムの10番ゲートはPIXY ゲートです

経歴

昭和55年 
岐阜県立恵那高等学校理数科卒業後
河合塾に入塾
2年間鳴かず飛ばず


昭和63年 
名古屋市立大学医学部卒業
同年 医師国家試験合格
刈谷総合病院臨床研修医


平成元年 
名古屋市立大学整形外科学教室入局

いなべ総合病院
中濃病院
NTT東海総合病院
公立陶生病院
NTT西日本東海病院

平成12年10月
JA岐阜厚生連中濃厚生病院整形外科部長


平成24年年11月
ぴくしぃ整形外科院長

専門は、整形外科、特に脊椎疾患で腰椎椎間板ヘルニアの診断と治療は ライフワークです
岐阜県立恵那高等学校
名古屋市立大学病院、学生時代はこんなに立派じゃなかったのに
関市のJA岐阜厚生連中濃厚生病院、長い間お世話になりました。感謝しかありません。

所属学会・研究会・資格

【所属学会・研究会】
日本整形外科学会

日本臨床整形外科学会
日本脊椎脊髄病学会
日本運動器学会
日本関節鏡学会
日本骨粗しょう症学会
中部整形災害外科学会
東海脊椎脊髄病研究会

【資格】
日本整形外科学会専門医

日本整形外科学会脊椎脊髄病医
日本整形外科学会スポーツ医
日本整形外科学会運動器リハビリテーション医 

日本リウマチ財団登録医
日本体育協会公認スポーツドクター
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